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ドボ鉄175万博開催と日本跨座式モノレールの登場

ドボ鉄入門講座 新着情報 - 土, 2026-03-07 23:21

 1970(昭和45)年3月~9月に、大阪の千里丘陵で開催された日本万国博覧会では、広大な会場内を移動するための交通機関として、モノレールが採用された。万博開催期間のみ限定ではあったが、地方鉄道法に基づいて日本万国博覧会協会会場内循環線として免許を取得して建設され、183日間の会期中に3,351万人(1日平均約18万人)の観客を輸送した。
 それまでのモノレールは、遊園地内の遊戯施設や鉄道駅と遊園地を結ぶ短い路線などがほとんどで、本格的な都市交通機関として用いられたのは東京オリンピックにあわせて開業した東京モノレールが最初であった。また、多くは外国の特許に依存していたため、様々な制約があった。
 交通機関としてのモノレールの本格的な普及をめざすため、1964(昭和39)年に日本モノレール協会が設立され、運輸省の委託により「都市交通に適したモノレールの開発研究」の検討を開始し、1968(昭和43)年には跨座式モノレールの標準設計として日本跨座式モノレールの成案が完成した。検討にあたっては、アルウェーグ式の東京モノレールをベースとし、ゴムタイヤによる走行方式を用いた。台車は2軸ボギー式を採用し、床面をすべて同一平面として一般の電車の設計に近づけた。
 協会では日本万国博覧会の観客輸送にこの日本跨座式モノレールを採用するよう働きかけ、延長4.3kmの会場内環状線が完成した。絵はがきには、お祭り広場と太陽の塔を背景として走るモノレールの姿がおさめられ、ボギー式台車を用いた日本跨座式モノレールの特徴を確認できる。
 万博のモノレールは、無人運転方式を導入するなど未来の都市交通の姿を示し、日本跨座式モノレールの基本設計を確立した。日本跨座式モノレールはその後、北九州高速鉄道(1985年開業)、大阪モノレール(1990年開業)、多摩都市モノレール(1998年開業)、東京ディズニーランド舞浜リゾートライン(2001年開業)、沖縄都市モノレール(2003年開業)で用いられたほか、海外でも中国重慶市の重慶軌道交通(2004年開業)、アラブ首長国連邦ドバイのジュメイラ・モノレール(2009年開業)で用いられ、現在に至っている。(小野田滋)(「日本鉄道施設協会誌」2025年9月号掲載)

 

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Q&A

文中の専門用語などを解説します

Q

万博モノレールの概要を教えてください。

A

 路線は、シンボルゾーン、外国展示館、国内展示館の外周を1周し、7箇所の駅(中央口駅、エキスポランド駅、東口駅、日本庭園駅、北口駅、西口駅、水曜広場駅)を設けました。軌道はすべて単線、最急勾配は55‰、最小曲線半径は60mで、車両は4両固定編成(定員540名/編成)×6編成が製造され、単線・反時計回りで循環運転を行いました。1周の所要時間は約15分で、最高速度は50km/h、運転間隔は2分30秒~3分でした。運転は自動運転により行われ、前方確認と扉操作を行う乗務員のみの1人乗務で、営業管理は日本万国博覧会協会から東急電鉄に委託されました。(小野田滋)

”日本万国博覧会協会会場内循環線(大阪府吹田市)”番外編

師匠とその弟子・小鉄が絵はがきをネタに繰り広げる珍問答

小鉄

ドボ鉄138回で紹介した東京モノレールも跨座式ですけど、日本式ではないんですか?

師匠

お前さんは、東京モノレールに乗ったことがあるかな?

小鉄

羽田空港へ行く時によく使いますよ。

師匠

室内の様子で何か気がつかなかったか?

小鉄

そういえば、車体の前後に台があって、荷物置場で使ってますけど。

師匠

台の役割を知ってるか?

小鉄

荷物置場でしょ。空港へ行く人は荷物をたくさん持ってるから、低い位置に荷台があると便利ですよね。

師匠

たしかに荷台として使っているが、あそこはモノレールの台車が入っているタイヤハウスの部分だ。

小鉄

?

師匠

跨座式モノレールは桁を跨いで車体を載せるから、床下に動力装置を載せる必要がある。

小鉄

普通の電車も動力装置は床下だから、同じですよね。

師匠

それに電気を受け取るための集電装置も床下だ。

小鉄

そういえば、モノレールにはパンタグラフが無いですよね。

師匠

今ごろ気がついたのか。

小鉄

どこから電気をもらってるんですか?

師匠

ドボ鉄161回の「姫路市営モノレール」でも「軌道桁と台車の展示」という写真で紹介したが、軌道桁の側面に電気を通す剛体架線があって、台車の集電靴(しゅうでんか)と呼ばれるコレクターシューでこれをこすりながら電気をもらっている。

小鉄

モノレールの床下は、いろいろと複雑なんですね。

師匠

だから東京モノレールでは、床上を凸型にして台車の一部をここに収めたが、日本式モノレールはこれをコンパクトに収めて床面を平らにした。

小鉄

いかにも日本らしい工夫ですね。

師匠

日本は、世界的に見てもモノレールが普及している国だが、そのきっかけとなったモノレールが万博で実用化された日本式モノレールということになるかな。

小鉄

これですね。今見てもカッコイイですね。

師匠

製作にあたっては、当時の国鉄鉄道技術研究所や車両設計事務所のスタッフが監修にあたったから、リアルな模型に仕上がった。1/20スケールで、3両編成が半径2mの路線を周回した。

小鉄

師匠はエキスポ70に行きましたか?

師匠

当時はまだ名古屋で中学生をしていたが、二回ほど行った。三波春夫の「世界の国からこんにちは」は今でも歌えるぞ。こんにちは~♪こんにちは~♪……

小鉄

師匠の思い出話しが長くなりそうなんで、今日はこれで失礼します。

ドボ鉄174スイッチバックと天下の険

ドボ鉄入門講座 新着情報 - 土, 2026-03-07 23:21

 小田原と箱根を結ぶ小田急箱根鉄道線は、1888(明治21)に開業した小田原馬車鉄道を起源とする。開業時は国府津~小田原~湯本(現・箱根湯本)間を結び、1900(明治33)年には電化されて関東では2番目(全国では4破線目の)の電気鉄道となり、小田原電気鉄道と改称した。その後、1912(大正元)年に箱根湯本~強羅間の建設に着手し、延長8.9kmで標高差445mという難所を克服するために、日本の粘着式鉄道では最急となる80‰の勾配を採用した(‰(パーミル)は勾配を表す単位として鉄道で用いられ1000mで登る高さを数値で表し「80‰」は水平距離1000mで高さ80mを登ることになる)。また、出山信号場、大平台駅、上大平台信号所場の3箇所にスィッチバックを設けた。会社は日本電力を経て1928(昭和3)年に箱根登山鉄道として独立したが、2024(令和6)年の小田急グループ事業再編により、小田急箱根の鉄道線となり現在に至っている。
 「箱根登山電車(出山スイッチ、バアク、ニ於ケル電車)」と題した戦前の絵葉書には、スィッチバックの出山信号場を進行する登山電車の姿がおさめられた。線路の左右には、「上リ十二、五分ノー」「下リ十二、五分ノー」と書かれた勾配標が建植されているが、これは「12.5分の1勾配」(垂直高さ1mを登るために12.5mの水平距離が必要/1÷12.5=0.08=80‰)という意味で、当時の鉄道勾配は、パーミルではなく、高さ1に対する水平距離を分母とする標記が一般的であった。
 箱根湯本~強羅間は、1919(大正8)年に開業し、さらに1921(大正10)年に強羅~早雲山間の鋼索線(ケーブルカー)が完成し、戦後に開通した箱根ロープウェイによって芦ノ湖へと達した。小田急箱根鉄道線は、その歴史的価値が認められ、全線が2007(平成19)年の土木学会選奨土木遺産に選定されたほか、1999(平成11)年には早川橋梁(通称・出山鉄橋、東海道本線天竜川橋梁のトラスを転用)が国登録有形文化財に登録された。そして、新春の駅伝、梅雨のあじさい、秋の紅葉など年間を通じて観光客が絶えない天下の険の交通機関として、今もシェルパの役割を果たし続けている。(小野田滋)(「日本鉄道施設協会誌」2010年2月号掲載)

 

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Q&A

文中の専門用語などを解説します

Q

鉄道が急勾配を登るためには、どんな工夫がありますか?

A

 車両側と地上設備側の両方で工夫されています。車両側では、複数の機関車を連結した重連運転や、補機と呼ばれる後押しの機関車を増結する方法があるほか、蒸気機関車ではマレー式蒸気機関車やシェイ式蒸気機関車など勾配用の特殊な機関車も用いられました。地上設備側では、スイッチバックやループ線などがあります。また、車両側と地上設備の両方が関わる方法としては、ラックレール式鉄道やケーブルカーの採用があります。一般の鉄道では35‰がひとつの目安になりますが、リニア駆動式の地下鉄では50~80‰、ラックレール式鉄道では250‰、ケーブルカーでは700‰まで可能とされています。(小野田滋)

”小田急箱根鉄道線・出山信号場(神奈川県足柄下郡箱根町)”番外編

師匠とその弟子・小鉄が絵はがきをネタに繰り広げる珍問答

小鉄

勾配はよく「こう配」って書かれますけど、何で漢字を使わないんですか?

師匠

ああ、それは「勾」が常用漢字に無かったからだ。

小鉄

常用漢字って時々聞きますけど、何のことでしたっけ?

師匠

常用漢字は、法令、公用文書、新聞、雑誌、放送など、一般の社会生活で使う漢字の目安で、常用漢字表として告示されている。

小鉄

強制ではないんですね。

師匠

あくまでも目安だが、文化審議会で答申されて内閣告示されるから、それなりに重みがある。特に法令や官公庁の公文書、義務教育で習う漢字、報道関係の用語などは常用漢字を基準としている。

小鉄

でも鉄道用語は関係なさそうですけど。

師匠

日本国有鉄道の時代は、国の鉄道として「鉄道公用文」を定めて常用漢字を用いることを原則としていた。

小鉄

「勾」は常用漢字に無かったってことですか?

師匠

その通りだが、「勾」は2010(平成22)年の改定で追加されて、常用漢字として使えるようになった。

小鉄

よかったですね。

師匠

しかし、今でも常用漢字を使えない鉄道用語がいくつかある。

小鉄

たとえば?

師匠

「橋梁」は「梁(はり)」の字が常用漢字に無いから「橋りょう」、「隧道」は「ずい道」、「牽引」は「けん引」、「転轍機」は「転てつ機」と書き表される。

小鉄

たしかに文献によっては「橋りょう」って書かれていたりしますね。

師匠

「橋梁」は「梁」の字に構造としての意味が含まれているから、専門家ほど「橋梁」の字にこだわったという話もある。

小鉄

たしかに「橋」の構造の基本は「梁」ですからね。

師匠

一般に使われる漢字も時代によって変化しているから、そのうち「勾」のように追加されるかもしれないぞ。

小鉄

そういえば、当用漢字ってのもありましたよね?

師匠

当用漢字は昭和の時代で終わっておる。1986(昭和61)年に改定されて常用漢字となった。

小鉄

歳がバレますね。

ドボ鉄173軽便鉄道の建設

ドボ鉄入門講座 新着情報 - 土, 2026-02-07 18:48

 日本の鉄道は、軌間1067mmを基本として建設が進められたが、のちに一部の私鉄や新幹線では1435mmが採用された。また、1067mm 未満の狭軌も用いられ、「軽便鉄道」と総称された。軽便鉄道は一般の鉄道に比べて輸送力に乏しかったが、簡易な規格で鉄道輸送を実現できるため、地方鉄道や産業鉄道などで用いられた。
 1911(明治44)年に設立された宇和島軽便鉄道もそのひとつで、軌間762mmの狭軌を用いた。同社は1912(大正元)年に宇和島鉄道と改称の後、1914(大正3)年に宇和島~近永間を開業させ、さらに1923(大正12)年には近永~吉野(現在の吉野生)間が開業した。「窓峠隧道北面」と題した絵葉書には、窓峠(まどのとう)トンネルの周囲に大勢の人々が集まり、眼下を通過する列車を見守っている。右側には工事用とおぼしきトロッコの線路が写り、法面(のりめん)も素地(そじ)のままなので、トンネルが完成して軌道の敷設が終わり、試運転を行っている際の写真と推察される。また、トンネルのパラペット(胸壁)には、「人工奪天険」と刻まれた扁額(へんがく)が掲げられ、最大の難所を克服した喜びが記された。
宇和島鉄道は、鉄道省による予讃線の建設が進むとともに、1933(昭和8)年に国有化され、宇和島線となった。国鉄買収後も施設や車両は軽便鉄道のまま使用され続けたが、北宇和島~卯之町間が予讃線として開業すると、旧宇和島鉄道の区間も762mm→1067mmに改軌され、同時に一部の区間を新線に切り替えて、窓峠トンネルも廃止された。
 宇和島線の吉野生以南は、1953(昭和28)年に県境を越えて江川崎までが開業し、さらに1974(昭和49)年には中村線(現在の土佐くろしお鉄道・中村線の一部)の若井に接続して、北宇和島~若井間は予土線に改称された。(小野田滋)(「日本鉄道施設協会誌」2024年7月号掲載)

 

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Q&A

文中の専門用語などを解説します

Q

軽便鉄道は、レールの幅が狭い簡易な鉄道という意味ですか?

A

 一般の鉄道よりも簡易な規格の鉄道を「軽便鉄道」と総称しており、日本の標準軌間の1067mm未満の軌間の狭い鉄道に対して用いられることがありますが、中には広軌や標準軌を用いた軽便鉄道もあります。このほか、森林鉄道や鉱山鉄道などの産業鉄道も、その多くは簡易な規格の鉄道を用いていたため、軽便鉄道の範疇に含める場合もあります。
 また、かつて軽便鉄道法という法律があって、この法律に基づいて敷設された鉄道を特に「軽便鉄道」と呼ぶことがあります。軽便鉄道法は、1910(明治43)年に公布されましたが、その目的は地域振興にあり、一般の鉄道よりも規制を大幅に緩和することとなり、簡易な手続きや規格で鉄道事業を行うことが可能となりました。また、国有鉄道の地方路線に対しても準用することが可能となり、「○○軽便線」の名称で建設されました。
 私鉄の法律としては私設鉄道法がありましたが、国有鉄道に準拠して扱われていたことや、私設鉄道法から軽便鉄道法への適用の変更も認められたことなどから、ほとんどの会社が軽便鉄道法で出願するようになり、私設鉄道法が形骸化してしまいました。このため、1919(大正8)年、新たに地方鉄道法が公布され、私設鉄道法と軽便鉄道法は廃止されました。(小野田滋)

”旧宇和島鉄道・窓峠トンネル(愛媛県宇和島市)”番外編

師匠とその弟子・小鉄が絵はがきをネタに繰り広げる珍問答

小鉄

絵葉書に登場する窓峠トンネルは、現存してるんですか?

師匠

宇和島鉄道の窓峠トンネルは廃線となってしまったが、今でも現地に残っているぞ。

小鉄

それがこのブルーシートを被っているトンネルの写真ですね。

師匠

宇和島方は何とか現存しているが、絵葉書に写っている近永方の北面は谷を埋めて地元のゲートボール場になっている。

小鉄

何も残ってないんですか?

師匠

ゲートボール場の片隅に、坑門に掲げられていた扁額だけが保存されている。

小鉄

扁額って何ですか?

師匠

トンネルの坑口の上に掲げられる額のことで、トンネルの名前や完成を言祝(ことほ)いだ言葉が書かれる。

小鉄

この「人工奪天険」がそれですね。

師匠

「人の力によって自然の険しい地形を克服した」といった意味で、トンネルの完成を言祝いでいる。

小鉄

あっ、絵葉書をよく見たら、トンネルの坑口にこの扁額が写ってますね。

師匠

やっと気づいたか。

小鉄

今使っている予土線の窓峠トンネルは、別の場所に建設したんですか?

師匠

宇和島鉄道の窓峠トンネルとほぼ同じ場所だが、低い場所をくぐっている。宇和島方の坑口も予土線の窓峠トンネルの直上あたりの藪の中に残ってる。

小鉄

ってことは、宇和島鉄道は予土線よりも急勾配だったってことですか?

師匠

軽便鉄道は一般の鉄道よりも小さな機関車を用いていたが、身軽である程度の急勾配でも登ることができた。

小鉄

小型だから急勾配には弱いと思ってました。

師匠

予土線の北側に並行して県道があるが、県道の緩い勾配がかつての宇和島鉄道の廃線跡で、宇和島方向からこれをたどると予土線の窓峠トンネルのちょうど真上のあたりにたどり着く。

小鉄

宇和島鉄道の蒸気機関車も宇和島駅前にあるようだから、あちこちに痕跡が残ってるんですね。

師匠

この機関車は、2000(平成12)年に広島県福山市の玩具メーカーが製造した宇和島鉄道1号機関車のレプリカだ。

小鉄

精巧にできているから、本物と思ってました。

師匠

1号機関車は、1913(大正2)年にドイツのオーレンシュタイン・ウント・コッペル社で製造された輸入機だった。

小鉄

近くにある「大和田建樹詩碑」って何ですか?

師匠

大和田建樹は、鉄道唱歌を作詞した人物で、宇和島の出身だ。

小鉄

あの「汽笛一声新橋を~♪」ですよね。

師匠

「宇和島城築城400年祭」と「大和田建樹生誕100周年」を記念して、宇和島鉄道1号機関車とともに2000(平成12)年に設置された。詩碑の設計は、建築家の清家清(せいけきよし)だ。

小鉄

ええっ、超有名な建築家ですよ。宇和島市と何か縁があったんですか?

師匠

清家清の父親で、機械工学者の清家正は宇和島の出身だった。

小鉄

そうだったんですか。

師匠

清家清は、大田区雪が谷の自邸の庭に国鉄のワフ29500形という実物の貨車を置いていたことでも知られているぞ。

小鉄

今でもあるんですか?

師匠

自邸は国の登録有形文化財に登録されたが、貨車は移設されて、今は新潟県上越市の直江津D51レールパークで保存されている。

小鉄

師匠は余計なことまでいろいろ知ってるんですね。

師匠

「余計なことまで」は余計だ

ドボ鉄172駅前広場の進化

ドボ鉄入門講座 新着情報 - 土, 2026-02-07 18:34

 新宿駅は、1885(明治18)年に日本鉄道品川線(のちに国有化され現在の山手線の前身)の駅として開設し、1889(明治22)年には甲武鉄道新八線(のちに国有化され現在の中央本線新宿~八王子間の前身)の起点駅となった。その後、私鉄各社が接続してターミナルとして機能するようになり、さらに自動車交通の普及とともにバスやタクシーが乗り入れ、駅の周辺には繁華街が形成された。
 開業時の新宿駅は、東京府の郡部(南豊島郡)であったが、1932(昭和7)年の市域拡大によって東京市に編入され、淀橋区が誕生した(のち四谷区、牛込区と合併して現在の新宿区となる)。東京の都市計画を審議していた都市計画東京地方委員会では、交通の結節点として発展が著しいターミナル駅について駅前広場を整備することとし、その最初の計画として1934(昭和9)年に新宿駅広場の整備計画が告示された。計画では、専売局淀橋煙草製造所の跡地を再開発して西口に駅前広場を設けることとし、地下鉄や東横電鉄(当時は東横線の支線が計画されていた)の乗り入れなどが考慮された。
 駅前広場の計画は戦後も継承され、京王電鉄や小田急電鉄の新宿駅整備、小田急百貨店や京王百貨店の開店、地下鉄丸ノ内線の開業などが行われた。駅前広場も、1966(昭和41)年に坂倉建築研究所の設計による地下広場と、地上と地下を結ぶ中央開口ランプウェイが完成し、今回紹介する絵葉書にもその姿がおさめられた。この地下広場では、1969(昭和44)年春にフォークゲリラ集会が行われ、学生運動が一大ムーブメントとなった時代を象徴する場所となった。
 新宿駅西口は、ほどなく淀橋浄水場跡地の再開発が始まり、1971(昭和46)年に完成した京王プラザホテルを皮切りに高層ビル群が林立し、1991(平成3)年には都庁も移転して副都心としての姿を整えた。新宿駅は、都市計画に基づく駅前広場のさきがけとなったが、その進化はとどまるところを知らず、今も再開発事業が進められている。(小野田滋)(書き下ろし)

 

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Q&A

文中の専門用語などを解説します

Q

ランプウェイは何のことですか?

A

ランプウェイ(Rampway)は「斜路」という意味です。新宿駅西口では、地上広場と地下広場を結ぶ役割果たしていて、この部分を開口部としたため「中央開口ランプウェイ」と呼ばれました。高架の高速道路と地平の一般道を結ぶ出入口などのことを「○○ランプ」と呼んでいます。新宿駅西口のそれはしばしばロータリーと間違われますが、ロータリーは同一平面で周回するのみで、上下の移動はできません。(小野田滋)

”新宿駅西口広場(東京都新宿区)”番外編

師匠とその弟子・小鉄が絵はがきをネタに繰り広げる珍問答

小鉄

淀橋区って、ヨドバシカメラと関係あるんですか?

師匠

今の西新宿あたりは、かつて淀橋、角筈(つのはず)と呼ばれていたが、淀橋浄水場の移転や再開発などで「西新宿」という地名に改称した。ヨドバシカメラの社名は、新宿西口本店のある淀橋に由来している。

小鉄

CMソングも「新宿西口駅前に~♪」ですよね。

師匠

地名としての淀橋は消滅してしまったので、今ではヨドバシカメラや地元の小学校などにその名が残るだけになってしまった。

小鉄

今の都庁のあたりは淀橋浄水場だったんですね。

師匠

今では敷地の輪郭が残る程度で全く面影はないが、1960(昭和35)年に東村山浄水場が完成したため、淀橋浄水場の機能はそちらに移転して、1965(昭和40)年に廃止された。

小鉄

戦前の西口駅前広場計画も専売局のタバコ製造工場の跡地を利用したそうですから、歴史は繰り返すんですね。

師匠

まとまった面積の用地は、何らかの理由がある場所だから、その由来を深掘りすると都市の歴史が見えてくるぞ。

小鉄

東京のまとまった土地は、だいたい江戸時代の大名屋敷にたどり着くって聞いたことがあります。

師匠

都市は、土地を再生させながら発達してきたから、いろいろな時代の遺産が重なり合っていることになる。

小鉄

師匠も、たまには良いことを言いますね。

師匠

「たまには」は余計だ

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