太田川(本川)、京橋川、元安川、天満川、猿猴(えんこう)川、そして太田川放水路。まちの中心部を6本の河川が流れる“水の都・ひろしま”。毛利輝元による広島城築城(1589年)以来、干拓や築堤によって市街地が形成され、古くから水運が発達した広島にあって、干満差の大きい河川舟運を支えたのが、船着場に荷揚げのために設けられた階段である「雁木」だ。
太田川水系のデルタ地帯には、新旧含め約400個所の雁木が分布しており、とりわけ明治から大正にかけて築造された伝統的な石積み雁木が多く残る京橋川に点在する約30個所の雁木群は、全国最大規模の河川舟運用雁木群として、平成19年度土木学会選奨土木遺産に選定された。
昭和初期まで、瀬戸内海の島しょ部や中国山地から木材や食料などさまざまな生活物資が船で運ばれ、雁木で荷揚げされた。かつて物流の中心的役割を担った大規模な雁木は公共的性格が強く、現在も親水空間として市民の憩いの場となっている。一方、往時は川に面した商家には各戸に雁木が設けられたといい、裏木戸や船をつなぎ止める鉄環などの痕跡を随所に見て取ることができる。天井や排水溝付きの雁木は、生活が川に向き合っていた証しでもある。川とのかかわりが、ごく自然に人びとの暮らしの一部となってきた水都の歴史文化を、雁木群は雄弁に物語っているのである。
主要交通が水上から陸上に取って代わられた今日にあって、この雁木群に改めて光を当てようと意欲的に取り組んでいる市民たちがいる。2004年に発足したNPO法人雁木組。平和記念公園や広島駅前など、約50個所の雁木を船着場として活用した水上タクシー「雁木タクシー」の運航を活動の基本に置いている。現在は観光客の利用が多いが、「水上交通という本来の目的で活用することで、雁木を多くの人に知ってもらい、いずれは通勤通学や買い物などの市民の足、暮らしの一部になっていってほしい」と代表を務める氏原睦子氏は語る。
雁木タクシーから護岸を眺めていると、規模、石積みの工法、階段の向き、表面の加工手法や護岸の形状に至るまで、実に多様であることがよくわかる。それは近世から近代まで脈々と継承されてきた土木技術と、現代的な工法の混在を見ることでもある。これまで専門的な調査研究がほとんどなされてこなかった雁木群の歴史的価値を調査するのも、雁木組の重要な活動だ。雁木単体の調査による築造年代の特定は難しいため、雁木組では護岸に着目し、石積みの状況や加工程度などの相対比較によって、雁木自体の築造年代を検証している。かつて、京橋川の右岸側は武家町、左岸側は町人町であった。波による洗掘でほとんどの雁木が滅失した左岸では、より多様で暮らしに密着した雁木の利用がなされていたのではないだろうか。雁木組の調査によって、護岸や雁木の築造年代だけでなく川・雁木を通じて展開されてきた都市生活の様相をも読み解く手がかりが得られるかもしれない。
現在、京橋川右岸では、河川利用の特例措置による公共空間の利活用社会実験として、全国初の本格的な常設型店舗「水辺のオープンカフェ」の設置や公開空地の創出など、官民の協働によるまちづくりが進められている。干潟や自然護岸がこれほど都市に近接しているという環境もきわめて貴重である。雁木群が、水辺と暮らしの結節点として、市民の手でまもり活かされること。それは、新たな都市文化創造への架け橋でもある。
諸元・形式:
形式 石雁木(河川に直角のもの約20個所(うち裏木戸付き6個所)/河川に平行なもの約5個所/閉鎖されているもの約5個所)
建造 明治後期から大正時代(推測)
(出典:見どころ土木遺産 第59回 京橋川の雁木群,土井 祥子,土木学会誌94-6,2009,pp.34-35)
広島県広島市中区